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≪原水爆禁止世界大会 地区労代表派遣 報告 ≫

8月7日から9日で開催された原水爆禁止2023年世界大会長崎集会に横浜地区労代表として千葉さん(日検労横浜支部)が参加してきました。

 

【原水禁大会とは】

 今から78年前の1945年8月6日、9日-広島・長崎に原爆が投下され、2つの街が一瞬にして、「地獄」と化しました。広島、長崎ではその年のうちに約21万人もの尊い命が奪われました。しかし、原爆を使用したアメリカは、広島・長崎への原爆被害が世界に伝わることを恐れ、厳しい報道管制をおこない、実態は日本国民にも、アメリカ国民をはじめ世界の人びとにも知らされませんでした。

 1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁でおこなった水爆実験によって日本国民は三度の原水爆による被害を受けました。ビキニ水爆被災事件をきっかけに、広島・長崎の被害、放射能による惨禍を広範な国民が知り、核兵器の廃絶を求める「原水爆禁止署名」が全国でとりくまれ、1年余で当時の有権者の過半数3400万に達しました。

 こうした原水爆禁止を求める大きな世論を背景に、1955年8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会が、翌56年には、長崎で第2回原水爆禁止世界大会が開かれました。以来毎年、世界の人々と連帯して世界大会が開催されてきました。いまや核兵器廃絶は世界の大きな流れに発展しています。

 

【千葉さんの報告レポート】

「被爆者とともに、核兵器のない平和で公正な世界をー人類と地球の未来のために」をテーマに8月7日から9日にかけて長崎で行われた原水禁世界大会2023に参加しました。

昨年度に港湾労協から広島で行われた世界大会に参加したのに続いて2年連続での参加になりました。

広島には10代の時の修学旅行、20代の時の所属組合の平和学習会、昨年の世界大会含めて過去3回訪れたことがありましたが、長崎は行ったことがなく、世界平和について学ぶ上でずっと行ってみたい場所でありました。

7日に開会式を長崎市民会館で行い、8日に11個に分かれた分科会にそれぞれ1日かけて行う予定でしたが、台風6号が長崎を通過する予報だったことから午前で分科会を終わることになり、急遽午後から閉会式を行うことになりました。

11ある分科会の中で、「非核平和のアジアと日本」というテーマに参加しました。

ウクライナで昨年から紛争が続いていますが、アジアでも軍事対軍事の緊張関係は高まっており、日本国内でも大軍拡が進んでいるとの話でした。

その話の中で、自衛隊が大量の血液製剤を作成、備蓄しようとしていること、NATO軍の連絡事務所を東京に構えることを進めていることや対中国の為の南西諸島のミサイル基地化、本格的に戦争に向かっているのでは?と自分自身不安に感じました。

原爆の悲劇、沖縄の悲劇を繰り返さないためにも、日本の大軍拡を防ぐにはどうすればいいのか?もっと若い世代に戦争の悲惨さを考えてもらうためにはどうしたらいいのか? とても考えさせられる時間になりました。

分科会後、閉会式まで時間が空いたこともあり、原爆資料館に行きました。

写真や遺品など展示物でしか見ることができませんが、一瞬で長崎の人口が約1/3の死者を出したこと、こんな悲惨で無差別なことは2度と起こしてはいけないと改めて強く感じました。

 また、1945年5月の段階で、横浜も投下目標の4都市に入っていたことを知りました。

もし横浜に落ちていたらどうなっていたのだろうか?

閉会式後、長崎の町を散策しましたが、広島同様、爆心地の側には川が流れていました。

原爆が落ちたあとこの川に飛び込んだ人がどれほどいたのか、想像するだけで心が痛みました。

日本人として生まれた以上広島、長崎は訪れるべき場所だと考えています。

 若い世代にどう考えてもらうか?興味を持ってもらえるか? 微力ながら、今後自分の中で時間をかけて考えていきたいと考えています。

長崎はお盆前ってこともあり、移動費用がどうしても多くかかってしまいます。

しかし今回スカイマークで長崎に行くことになり、費用を抑えることができると知りました。

MCCを利用することで,費用を抑えることができ、行く負担が多少は軽減できることから若い世代を誘い、共に学びにいくのもいいのかもしれないと思いました。

 今回台風6号が接近したことで、正直帰りのことがどうしても気になってしまい、長い時間学習に集中することができませんでした。

しかし長崎で学んだことは確実に自分の財産になると思います。

長崎行きを叶えて頂き、本当にありがとうございます。

また行ける機会がありましたら、若い世代にもっと伝えられるようしっかり勉強しに行きたいと考えています。

                        日検労 千葉