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≪原水爆禁止2024年世界大会参加報告≫

横浜地区労は、原水爆禁止世界大会へ毎年代表を送り出しています。

今年は、横浜地域労働組合の太田さんがお子さんと共に参加しました。

報告レポートを全文紹介します。

 

【紹介されている宣言やメッセージなどは「日本原水協(原水爆禁止日本協議会)」のHPでご覧いただけます。

 

横浜地域労働組合 太田咲和子

原水爆禁止2024年世界大会へ親子で送り出して頂き本当にありがとうございました。

私自身は十数年ぶり、広島大会は初めての参加でしたが、前回参加して得たものとは違うものを新たに得ることができたとともに、前回の参加経験があったからこそ湧き上がる感情といったものもありました。

また、この十数年の間に親となり、次の世代に核廃絶の意志を引き継ぎたい、という強い思いが芽生え、親子での参加をしました。

本来ならば子の世代には核廃絶運動が終焉を迎えているようにすべきですが、もし終焉を迎えていても、「再び核は持たない」という考えをもつ大人になってほしいと思います。

子どもたちにとってはこのような大きな集会でたくさんの人の話を聞くことは初めての経験であり、かなり戸惑っていたようで不機嫌極まりありませんでしたが(笑)、「あれはどういうこと?」と聞いてきたり、大会中に描いた絵や感想では子どもなりに感じたものがあった様子が分かりました。

以下、感想を交えながらの大会参加報告です。

(写真のうち、絵と文は子どもが描いたものです)

 

■開会総会(8月4日)

・開会総会で繰り返し聞かれた言葉は、今、核破局の「瀬戸際」にあるということです。

ロシアは核兵器による威嚇を繰り返し、核保有国のイスラエルは核をちらつかせながらガザでのジェノサイドを続けています。

NATO加盟国からは公然と核兵器配備・核抑止力強化の声があがっています。

また、東アジアでも核保有国との緊張と対立があります。

被爆者や各国の政府代表あいさつでは「核戦争の最大の危機を迎えている」「核軍縮は悲惨な状態にある」などの声が聞かれました。

 

・そのような中でも駐日インドネシア副大使が「核軍縮はわが国の最優先課題です」とあいさつの中で最初に話したことに驚きました。

そして「わが国は核兵器のない世界を達成するため、核兵器禁止条約は重要なステップと考えている。

まだ署名・批准していないすべての国に早期に署名・批准をするよう呼びかける」と続きました。

これらの言葉が日本政府からではないことに恥ずかしさや怒りを覚えました。

 

・「核破局の瀬戸際」とともに何度も聞かれた言葉が「被爆の実相の普及」です。

被爆者の高齢化により、被爆体験を直接聞くことができなくなっている今、いかに被爆の実相を広めていくか、これも大きな課題です。

 

・私が前回参加したときとの大きな違いは核兵器禁止条約が発効していることです。

世界大会に先だって開催された国際会議の国際会議宣言にも書かれていますが、これは「希望の光」です。

条約によって核保有が違法化されたことは核廃絶運動をバックアップする大変大きな力になります。

この力をもって日本を一刻も早くこの条約に参加するよう求めていく必要があります。

 

・核廃絶運動の中で闘わなくてはいけない大きな壁が「核抑止」論です。

しかしこれは「「抑止」とは、いざとなればヒロシマ・ナガサキを再現する、との脅しであり、人道に反する行為である」という国際会議宣言や、被爆者あいさつの中でも「実のない理論」と明快な言葉で否定されています。

「核抑止」論克服は次回の核兵器禁止条約第三回締約国会議での重要議題の一つです。

 

・日本から始まった核廃絶の草の根の運動は世界に広がっています。

国際青年リレー行進者の「私は為政者には思いを託さない、(92歳の平和行進通し行進者の)大村さんのような人に託す」という言葉が印象的でした。

前回参加したときの通し行進者の方が知っている方で、神奈川でともに歩き、3か月後に長崎で再会したときの感動がよみがえり、平和行進者の方たちの言葉には熱いものがこみ上げました。

 

■分科会(8月5日)うごく分科会「親と子のまなび~被爆列車に乗って」

 「中学生にはお話ししたことがあるけれど、もっと小さい子どもたちは初めてなので分かるかな?」と心配そうでしたが、子どもたちにも分かるように話をしてくださいました。

幅広い年齢層の子どもたちがいたので、もちろん全員が分かるわけではなかったと思いますが、絵を交えながら話してくださり、子どもたちでも分かる部分はあったと思います。

 

・その他、「東京反核医師の会」の医師から被爆による体への影響の解説や、「物言わぬ被爆者のメッセージ」として建物・木・橋・電車の被爆遺構の紹介がありました。

 

・最後のプログラムとして被爆した路面電車車両に乗車しました。

戦時下の広島電鉄では男性乗務員の多くが出征してしまい、人手が足らなかったため地方から女子生徒たちが集められました。

交替で半日働き、半日通学するかたちで家政学校なども併設されました。

戦争が激しくなってくるとほとんど勉強する余裕もなく勤務し、原爆投下によってたくさんの生徒が犠牲になりました。

 

・乗車中は車窓から見える被爆遺構の説明をガイドの方から聞きました。

被爆した建物は取壊しが進んでいるな、という印象です。

「門柱だけ残して」や「窓枠だけ展示するような形にして」建て替えている建物が多かったです。

そのような中でも運動によって取壊しを撤回し保存することが決まった建物もあり、やはり市民の運動が大切だと思いました。

 

・広島市内にある「平和大通り」は真っ直ぐな広い道路ですが、これは「建物疎開」といって、空襲の際に火事が広がらないように家屋などを予め壊したため、そのまま広い道路として残っているそうです。「建物疎開」という言葉は初めて知りました。

・前回参加したときの分科会は世界の反核運動報告のような分科会だったため、こうして被爆そのものの話を聞いたのは初めてだったかもしれません。まだまだ知らないことがたくさんあり、これらを引き継いでいかなくてはいけないのだと思いました。

 

■ヒロシマデー集会(8月6日)

・最終日のヒロシマデー集会でもたくさんの国の代表が発言しました。

カザフスタンではソ連時代に460回以上の核実験が行われ、被害者は150万人を超えるとのこと。

カザフスタンのイニシアチブで二つの核保有国と接している地域で初の中央アジア非核地帯条約が発効しました。

世界規模という視点でしか非核を考えていなかったのですが、地域で非核を実現することは第一歩であるという発見がありました。

そしてここでもなぜ日本が自国の周りの地域でそういったイニシアチブを取らないのか、情けない思いがしました。

 

・マーシャル諸島でもアメリカは67回の原水爆実験を行いました。その後マーシャル諸島ではガンで亡くなる人がとても多いそうです。

「母親は正義と平和の担い手」という言葉に、日頃地域の子育て運動に携わっている身としてとても励まされました。

 

・原爆についてまだまだ知らないことが多く、無知をさらけ出す報告書となりました。

世界大会には一度参加したことがあるからもういい、ではなく今回参加したことで新たな知識を得てまた核廃絶への思いを強くすることができました。

今回は小学生の子どもも参加させて頂きましたが、これからの時代を担う世代、特に二十代や三十代の方たちがもっと多く参加するといいと思いました。