· 

≪文レク企画・横浜を知ろう!ウォークラリー≫

横浜地区労・文レク部会は、コロナ禍の中で、これまで開催してきた「会館まつり」「ソフトボール大会」「花見交流会」などが中止となる中で、コロナ禍でも開催可能な企画を検討してきました。

 「家族で参加できるものがいい」「青年、女性の参加しやすいもの」「お互いを知り合える企画」などの要望が出される中で、今回企画したのは、観光地横浜の特色を生かし、またSNSなどのネットツールを活用して交流する「もっと横浜を知ろう!ウォークラリー」です。

 

【企画の特徴】

☆対象エリアは「横浜・みなとみらい地区」

(横浜市作成の観光マップを活用)

☆参加は個人でもグループ、家族でもOK!

☆一日乗車券(市営の地下鉄、バス)と有料スポットの利用料を地区労で補助!

☆参加者には当日限定のLINEグループに入ってもらい、行った場所、コメントを投稿してもらって交流する。 Etc

 

 当日は、4つの労組から18名。「個人」「青年同士」「家族」「夫婦」など幅広い参加があり、お互いに知らない間柄で、行動も別々でしたが、LINE上でのコメント数は134件、写真・動画投稿数は123件と、大いに盛り上がりました。参加いただいた方からは「グループLINEで行った場所を共有するのはすごく良いと思いました」「スマホの電池が切れて急遽モバイルバッテリーを買いました(笑)」など、SNSを使った交流のしくみも好評でした。

 

【終了後に寄せられた感想】

●皆さんお疲れ様でした。これ、いい企画でしたね。またやりましょう。

●家にたどり着くまでが遠足です! 笑

桜木町駅から京浜東北線に乗りました。私、これで秋葉原まで行くんですよ。住まいは台東区なんで。横浜で遊んだことが無かったので、今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました。

コロナでやむなくこういう形になったのでしょうけれど、自分のペースであちこち行けて、皆さんと情報を共有するのは、予想の何倍も良かったです。

●今日はありがとうございました。楽しい1日になりました。今後ともよろしくお願いします。共に斗いましょう!

●本日は楽しい1日となりました。ありがとうございます🙇また機会がありましたら是非参加したいですし企画等もしていきたいと思います。

●今日はありがとうございました😊とても楽しく充実した1日になりました‼️皆さんの行った所がどんなとこなのか見るのも楽しかったです❣️娘が歩くようになったらまた参加させていただきたいです😃 お疲れ様でした😆😆

●本日はありがとうございました。

かなりの距離を歩きましたが、普段中々無い機会ですし、天気も良く楽しかったです。

グループラインで行った場所を共有する案は凄くいいと思いました。

●今日はありがとうございました。

普段歩かない道を散策したりと、新しい場所の発見にもなりました!

また機会があれば参加させて頂きたいです😊  お疲れ様でした!

●改めて見直すといっぱいの写真とコメントで楽しまれたことが伝わってきますね。私も最後は充電が切れる事態となってしまいました😅

●ウォークラリーに参加してこんなに色々な発祥の地があったなんて、びっくりです。すぐに皆と情報共有出来たのはラインの良いところですね。誰かがアップした写真を見て見に行ってみよう!となり、沢山歩きました。バッテリーも家に忘れてきたので、急遽ヨドバシに買いに走りました(笑)、又参加して新しい発見をしたいです。よろしくお願いします😃

 

今回の企画の経験を活かし、横浜地区労は文化レクレーション活動を通じて組合員同士のつながり、交流を深める取り組みを引き続き進めていきます。ご意見、提案をぜひお寄せください!

 

【特別寄稿】

「あかいくつ号で一周」のラリー

    特別常任幹事 菅野章(元三菱横船分会)

生まれも育ちも職場も横浜の84歳の「浜っ子」だが、観光の知識には弱い。

そこで、今回のウォークラリーは「あかいくつ号」のバスで一周しようと決めた。

桜木町駅前から県庁前-大桟橋-赤レンガ倉庫-中華街―元町―港の見える丘を一周の一時間であった。

こうして観る横浜は、街並みも異国情緒豊かで美しい街だ。

しかし、84年をこの地に暮らしてきた私には、77年前の戦争で焼け野原になった野毛一帯の光景や、その後の「ヤミ市」でごった返した桜木町・野毛の姿が忘れられない。

今は観光名所となった「みなとみらい」地区だが、39年前までは、私が働いていた三菱重工横浜造船所があり、作家を目指した若き日の吉川栄治がドックの底で「カンカン虫」として働いていたし、あのチャップリンが好んだ「氷川丸」が建造された。

私もこの船の機関室の現場で働き、プロペラの修理、点検作業で5メートルの高さの足場の上で約15kgのハンマーを振っていたものだ。まさに「きつい、きたない、危険」な3K職場であり、死亡災害が多発していた。ランドマークタワーを見ると「大きな墓標に見えてしまう」という仲間もいた程だ。

日本一を誇る横浜中華街も、2年続きのコロナ禍ではあるが、かなりの人出でにぎわっていたが、中心街で大きな店で解雇反対闘争で頑張っていたNさんの支援で、横浜地区労の一員として応援演説をしたことを思い出した。元町商店街では60年前後、有名だった帽子屋(ウルべ帽子店)の女性たちが組合をつくり、全員解雇と闘って、占拠した職場に泊まり込みで支援に行き、朝早くから営業していた中華街の横町にある「安記」(今もある)という小さな店で「お粥」を食べてから職場に出勤した頃を思い出した。

私にとって今回のウォークラリーは「もう一つの横浜」を振り返るものとなりました。